【那須学Q&A20】那須連山の“那須五峰”の山の名前は?
那須連山の主な峰5つが『那須五峰』と呼ばれ、那須高原からもその雄姿を見ることができます。 那須高原から見ると一番高い山が茶臼岳で、その右側に朝日岳と三本槍岳、茶臼岳の左側が南月山と黒尾谷岳で、これらが那須五峰と呼ばれます。
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那須連山の主な峰5つが『那須五峰』と呼ばれ、那須高原からもその雄姿を見ることができます。 那須高原から見ると一番高い山が茶臼岳で、その右側に朝日岳と三本槍岳、茶臼岳の左側が南月山と黒尾谷岳で、これらが那須五峰と呼ばれます。
俳句で有名な松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのは、1689年(元禄2年)3月27日(旧暦)に弟子の河合曾良を伴って、江戸を出発しています。この時の芭蕉の年齢は46歳でした。ちなみに亡くなったのは5年後の51歳で現在の大阪と言われています。
義経街道を鎌倉に向かう義経一行は、沓石の里を過ぎた小高い石山で休憩をとります。ここにあった大きな石に義経が腰掛たち伝えられ、その時に義経が御幣を奉って武運を祈ったといわれ、以来こここを御幣石(幣石神社)と呼ばれるようになりました。
弁慶がこの地で休憩している時に矢を取り出し「我が願い吉ならば、この石に立てよ」といって傍らにあった石に指先で矢の根を押し込むと、矢が岩に突き刺さったとか。この石を古来から“矢の根石”として祀り伝えられています。
京都の都と東北を結ぶ古代からの道は、那須町の伊王野地区を通っています。1180年源頼朝の平家討伐の挙兵に呼応して、奥州平泉を出発した源義経は一路鎌倉を目指して馬を駆りました。義経が通った道は“義経街道”で正しい街道名は 【東山道】です。
那須連山の火山活動で一番古いのは、甲子旭岳で約60万年前。三本槍岳は40万年前、南月山は20万年前、そして茶臼岳は3万年前で、現在も火山活動が続いている那須連山で唯一の活火山。茶臼岳の大きい噴火は1410年で180余名の死者が出たと言われています。
那須検定テキストブックや那須学物語を出典元として、Q&A方式で那須高原・那須町・那須エリアの情報を提供してきたた【那須学Q&A】の問1~14までを一覧にしました。正解が10問以上が合格です。貴方は何問正解できますか?
那須高原・那須町の著名人のナンバーワンと言えば、名誉町民で医者・作家でもあった誰もが知る見川鯛山先生です。1945年に那須湯本温泉診療所を開いた医師で、診療所開設から地域医療に従事する傍ら、おもしろい話を書く作家としても知られた有名人でした。
下野の大名・大関増裕の黒羽藩は、藩財政の経済資源確保のため、茶臼岳噴火口から硫黄を採掘していました。採掘された硫黄は、徳川幕府の火薬製造原料として、江戸目黒砲薬製造所に売られていました。のちに鳥羽伏見・戊辰戦争で使われることになった火薬です。
那須町は“観光立町”を宣言して、年間国内外から多くの観光客がいらっしゃいます。観光客入込み数2018年は4,723,235人で、大震災前と比べると91.86%の418,281人減。新しい観光立町の町づくりの施策が必要ですね。(那須検定テキスト・那須学物語参照)