那須学物語一覧

【那須学Q&A20】那須連山の“那須五峰”の山の名前は?

那須連山の主な峰5つが『那須五峰』と呼ばれ、那須高原からもその雄姿を見ることができます。 那須高原から見ると一番高い山が茶臼岳で、その右側に朝日岳と三本槍岳、茶臼岳の左側が南月山と黒尾谷岳で、これらが那須五峰と呼ばれます。

【那須学Q&A16】那須町内で源義経が頼朝に呼ばれて鎌倉へ向かうときに通った道は?

京都の都と東北を結ぶ古代からの道は、那須町の伊王野地区を通っています。1180年源頼朝の平家討伐の挙兵に呼応して、奥州平泉を出発した源義経は一路鎌倉を目指して馬を駆りました。義経が通った道は“義経街道”で正しい街道名は 【東山道】です。

【那須学Q&A 15】那須連山“茶臼岳”の噴火で180余名が亡くなったのは何年?

那須連山の火山活動で一番古いのは、甲子旭岳で約60万年前。三本槍岳は40万年前、南月山は20万年前、そして茶臼岳は3万年前で、現在も火山活動が続いている那須連山で唯一の活火山。茶臼岳の大きい噴火は1410年で180余名の死者が出たと言われています。

【那須学Q&A14】小説「山医者」シリーズで知られる那須の医者で作家であった人とは?

那須高原・那須町の著名人のナンバーワンと言えば、名誉町民で医者・作家でもあった誰もが知る見川鯛山先生です。1945年に那須湯本温泉診療所を開いた医師で、診療所開設から地域医療に従事する傍ら、おもしろい話を書く作家としても知られた有名人でした。

【那須学Q&A13】茶臼岳で採掘されていた硫黄は何の原料として売られていた?

下野の大名・大関増裕の黒羽藩は、藩財政の経済資源確保のため、茶臼岳噴火口から硫黄を採掘していました。採掘された硫黄は、徳川幕府の火薬製造原料として、江戸目黒砲薬製造所に売られていました。のちに鳥羽伏見・戊辰戦争で使われることになった火薬です。

【那須学Q&A 12 】那須町の観光客数は2018年は何万人だったでしょう?

那須町は“観光立町”を宣言して、年間国内外から多くの観光客がいらっしゃいます。観光客入込み数2018年は4,723,235人で、大震災前と比べると91.86%の418,281人減。新しい観光立町の町づくりの施策が必要ですね。(那須検定テキスト・那須学物語参照)