【那須学Q&A16】那須町内で源義経が頼朝に呼ばれて鎌倉へ向かうときに通った道は?

那須町の源義経伝説の道東山道

京都の都と東北を結ぶ古代からの道は、那須町の伊王野地区を通っています。
1180年、源頼朝みなもとよりともの平家討伐の挙兵に呼応して、奥州平泉を出発した源義経みなもとよしつねは、白河の関から関東に入り、一路鎌倉を目指して馬を駆りました。

義経が通った道は“義経街道”と地元では呼ばれていますが、正しい街道名は 答え【東山道とうさんどうです。

この【東山道】が通る伊王野地区には、数々の義経伝説が残されています。

関東に入る峠には、《追分明神(住吉玉津島神社)》があり、源義経一行はここで道中の無事と戦勝を祈願。その時、義経は「月を拝もうではないか」と言って東の山に登り、こうこうと照る月に手を合わせたと伝えられます。

<昔の県境には今は那須町の石の道標が立つ>
那須町の追分明神の道標

追分明神は、江戸時代の『下野国野州しもつけのくに陸奥国奥州むつのくに境神社旧記』によると、坂上田村麻呂が延791年蝦夷征伐の途中ここで休息したとき、勧請したものと伝えられています。

<かつては義経も歩いた東山道の追分明神>
那須町東山道の追分明神参道

追分明神の社は、高さは2~3mほどの小さいもの。現在は鞘堂さやどうで社が保護されているため、風雨はしのげるため意外と小綺麗に保存されています。

<義経も祈願した追分明神の社>
那須町東山道の追分明神の社

この追分明神から道の駅“東山道伊王野”までの東山道に、源義経と家来の弁慶の伝説がいくつも残っています。その内容については順次このブログでご紹介してまいります。

<追分明神は那須町の南・福島県との県境 東山道を南に下ると道の駅東山道伊王野です>
義経街道の追分明神から伊王野

〈Dai〉

那須町 追分明神
〒329-3437
栃木県那須郡那須町蓑沢


<追分明神の周辺地図>


にほんブログ村 にほんブログ村へ
那須人はにほんブログ村に参加しています!クリックお願いいたします!

那須学物語【那須学Q&A】は、那須町・那須高原・那須エリアのことをQ&A方式で解説していくものです。参照元情報は、社団法人那須観光協会発行の「那須検定公式テキストブック」「那須学物語」などを参考にしております。これらの情報が那須に移住しようとお考えの皆様方の、那須の知識を増やし那須人になるきっかけになればと思います・・・。

choko4※那須高原の那須町に移住してきた筆者が、那須にとけ込んだ人を“那須人(なすびと)”と称し、那須好きの人たちに那須の様々な観光情報を提供することで、“那須人”になってもらいたいと、このブログを開設しています。何か知りたいこと、聞きたいことがありましたら《Contact Us》までどうぞ。




SNSフォローボタン

フォローする

スポンサーリンク

シェアする

コメントの入力は終了しました。