那須から【日光東照宮 陽明門】平成の大修理 で蘇った豪華絢爛の門

那須高原から日光東照宮へは、東北自動車道と日光宇都宮道路経由で、約90km、1時間15分程度。一般道を走っても1時間30分程度でいくことができます。

国宝【日光東照宮 陽明門】は、380年前に造られたもので、2017年3月10日に21回目にあたる平成の大修理が完了し、4年ぶりに一般公開となりました。日差しや風雪にさらされて傷んだ部分を約40年ぶりに大修復し、古代中国の故事や聖人をかたどった彫刻508体の極彩色や漆塗り、金箔を施した飾り金具、純白の柱などが美しくよみがえりました。その姿はまさに“豪華絢爛ごうかけんらん”という言葉があてはまるほど、陽の光が当たるとまぶしいほどの煌びやかさです。

今回はこの【日光東照宮 陽明門】をじっくり見てみましょう。

日光東照宮陽明門

ご存知の方も多いとは思いますが、日光東照宮は栃木県日光市にある神社で、江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現とうしょうだいごんげんを祀っています。日本全国の東照宮の総本社的存在で、正式名称は「東照宮」ですが、他の東照宮との区別のために、【日光東照宮】と呼ばれます。


【陽明門】呼び名の由来と別名

日光東照宮の入り口にあたる【陽明門】は、実は「京都御所東門」、通称陽明門と呼ばれることから、ここからこの名前をとったと言われます。日光東照宮を造営する時に、京都御所の東の鎮守としてこの日光東照宮を造営し、京都御所を守護すると言う意味合いで【陽明門】の名前を頂戴したと考えられています。

<京都御所を意識して命名された陽明門>
日光東照宮は京都御所の東を守る陽明門

【日光東照宮 陽明門】は、高さ11mの2層造りで、正面の長さは7m、奥行きが4.4mあります。別名で日暮門ひぐらしもん勅額門ちょくがくもん北辰門ほくしんもんとも呼ばれています。

<日が暮れるまで見ていても飽きない陽明門>
日光東照宮陽明門は日暮門とも呼ばれる

この豪華絢爛の門は、「日が暮れるまで見ていても飽きない」と徳川家光公が言ったことから「日暮門」とも呼ばれるようになりました。また「勅額門」というのは、【陽明門】の名前を朝廷から頂戴し、かつ。正面唐破風下に後水尾天皇宸筆しんぴつ(直筆)の「東照大権現」の勅額があることから「勅額門」とも呼ばれてます。

<掲げられている額“東照大権現”は後水尾天皇の直筆>
日光東照宮陽明門は勅願門とも言われる

“北辰”というのは「北極星」のことで、【陽明門】と本殿を一直線で結ぶと、本殿の後ろに北極星が来るとか。また「北極星」は“天照大御神”を意味し、理の中心とする考え方や様々な信仰からこの門を「北辰門」と呼ばれたりもするらしい。

<本殿の後ろに北極星(北辰)が見える・・>
日光東照宮陽明門は北辰門でもある


【陽明門】の柱は地紋彫で屈輪文

【日光東照宮 陽明門】の柱などは、胡粉塗で白く仕上げられ、要所に鍍金金具が使われ、柱には地紋彫がほどこされています。

日光東照宮陽明門の柱と唐獅子

柱の地紋彫は渦巻の形をした“屈輪文”ぐりもんと呼ばれる模様で、その模様の上に丸文(文様)を置きその中には鳳凰、孔雀、二つ蝶、竜、象、虎、牡丹などが表現されています。

<丸文に孔雀が彫り込まれている柱 左は「右大臣」の随身像>
日光東照宮陽明門の柱

【陽明門】の柱は全部で12本あります。そのうちの1本(門の裏側の西から2本目)だけ屈輪文が上下逆さになっています。
これは「魔除けの逆柱」とも呼ばれていて、建物を全て完璧に完成させるといずれ崩壊するという言い伝えから、一箇所だけわざと完璧にせず、間違ったように逆さにすることで崩壊を防ぐという意味があります。(上の写真の柱模様と比較してみてください)

<柱の模様が逆さになっている魔除けの逆柱>
日光東照宮陽明門の逆さ屈輪文


【陽明門】の霊獣・彫刻の飾り付け

【日光東照宮 陽明門】は、多くの彫刻で装飾されています。この装飾は陽明門に限らず、表門、回廊、唐門、拝殿、本殿などにも多くあり、総数は5173体で、そのうちの508体が陽明門にあります。

これらの彫刻は単なる装飾ではなく、徳川家康を「神」として祀る社殿では、さまざまな象徴的意味を担っています。人物彫刻には中国伝説や故事に取材したものが多く、鳥獣の彫刻には霊獣、霊鳥と呼ばれる、良い兆候を招くという意味合いをもつものが多くあります。

日光東照宮陽明門の人物彫刻

日光東照宮陽明門の鳥獣の装飾

【陽明門】の彫刻には仙人の像が多く用いられていますが、これは家康の肉体は滅びても、その魂は永遠に生き続けることを意味し、また家康を葬った日光の地が仙境であることを意識しているとの見方もあります。
<琴高仙人の彫刻>
日光東照宮陽明門の琴高仙人彫刻

【陽明門】の正面左右にそれぞれ右大臣・左大臣の随身像が置かれていますが、その裏側には、家康公の霊廟を守護するための金の獅子(狛犬)が置かれています。狛犬はご存知のように阿吽の2体が必ず対で置かれ、「阿形(あぎょう)」と「吽形(うんぎょう)」と呼ばれ魔除けで用いられる想像上の動物です。【陽明門】の狛犬は身体全体が金色に塗られ、尻尾や首回りの毛は(吽形)が青色、右(阿形)が鮮やかな緑色をしています。

<陽明門西側の金獅子(阿形の狛犬)>
日光東照宮陽明門の金獅子

<陽明門西側の金獅子(吽形の狛犬)>
日光東照宮陽明門の狛犬の云

【日光東照宮 陽明門】の四隅には、社寺建築でよく見られる、小屋組み内から斜め下方へ突き出している垂木“尾垂木おだるき”が3段になってあります。
下の写真では正確に見えにくいかもしれませんが、尾垂木の一番上が「竜」でその下に、竜に似た顔つきで角が1本、豚のような鼻を持つ「そくがいます。「息」というのは架空の動物の名で、『宝暦結構書』という資料に出てきます。しかし「息」という動物名はこの資料にしか見出せず、作例も日光東照宮の陽明門と拝殿以外の場所にはほとんど見出せないといいます。

<陽明門の上段の尾垂木の一番上は「竜」が並びます>
日光東照宮陽明門の竜・息・竜馬

下段の尾垂木先は「息」で、頭貫木鼻かしらぬききばなは「竜馬」です。
※水平材(横木)が柱から突き出したものを「頭貫」といい、その部分に施された彫刻などの装飾を「木鼻」といいます

<陽明門の下段の尾垂木は「息」が並びます>
日光東照宮陽明門の花壇の尾垂木は息

<陽明門の頭貫木鼻は真っ白の「竜馬」が飾られています>
日光東照宮陽明門の下段の尾垂木は息


日光東照宮陽明門の天井絵と随身像

【陽明門】の門内部の天井には、狩野探幽かのうたんゆう作の「昇り龍のぼりりゅう」と「降龍くだりりゅう」が描かれています。いずれも国宝指定を受けている天井絵です。これらの龍は別名を持っており、昇り龍は別名で「八方睨みの龍」、降龍は別名で「四方睨みの龍」と呼ばれています。

<陽明門の八方睨みの昇り龍>
日光東照宮陽明門の加納探幽の登り龍

<陽明門の四方睨みの降龍>
日光東照宮陽明門の加納探幽の降龍

【陽明門】の左右にある平安時代の武装した格好の随身像は、右大臣と左大臣で、神に仕えて神を守護する者という意味があります。ちなみに左大臣より右大臣の像がどこも年齢が上となっています。これは古来の昔から、左(向かって右側)が上座だったことからきていると言われます。

<こちらは右大臣の随身像>
日光東照宮陽明門の右大臣の随身像

<こちらは左大臣の随身像>
日光東照宮陽明門の左大臣

【日光東照宮 陽明門】は、様々なものが色々な考えや信仰、吉祥的な意味合いとかで組み立てられています。知れば知るほど、その奥の深さを感じ、徳川家康の偉大さがさらに意味をなしてきます。機会があれば、もっともっと事前に勉強して、この【陽明門】を知り尽くしてみたい思いにかられます。 <Dai>


日光東照宮 陽明門
〒321-1431
栃木県日光市山内2301 日光東照宮内
Tel:0288-54-0560


<日光東照宮陽明門の周辺地図>


にほんブログ村 にほんブログ村へ
那須人はにほんブログ村に参加しています!クリックお願いいたします!

choko4※那須高原の那須町に移住してきた筆者が、那須にとけ込んだ人を“那須人(なすびと)”と称し、那須好きの人たちに那須の様々な観光情報を提供することで、“那須人”になってもらいたいと、このブログを開設しています。何か知りたいこと、聞きたいことがありましたら《Contact Us》までどうぞ。




SNSフォローボタン

フォローする

スポンサーリンク

シェアする