1180年、源頼朝の平家討伐の挙兵に呼応して、奥州平泉を出発した源義経は、白河の関から関東に入り、一路鎌倉を目指して馬を駆りました。
義経が通った道は“義経街道”と地元では呼ばれていますが、正しい街道名は“東山道”で、この道が通る伊王野地区には、数々の義経伝説が残されています。
関東に入る峠には《追分明神》があり、源義経一行はここで道中の無事と戦勝を祈願したと伝えられます。
やがて義経一行は、追分の山あいを抜け里に出ました。そこが沓石と呼ばれる小さな集落で、ここには義経の愛馬の足跡と言われるくぼみがある大きな石“沓石”があり、これが地名となったと言われます。
義経一行が川沿いに道を進めると右手にゴツゴツとした石山が見えてきました。一行が登ってみるとそこには粗末な小さな祠があり、周りには大きな石がゴロゴロとしていました。
<現在の御幣石の入り口に立つ鳥居>
<小高い丘なのに急斜面に石がゴロゴロしている>
源義経はここにあった大きな石に腰掛けたと言われ、その石は“義経の腰掛石”と呼ばれるようになりました。
<義経が腰かけたと言われる石は現在ではどれなのかは不明>
源義経は、この小さな祠に武運を祈って御幣を奉ったといい、それ以来ここを御幣石 答え 幣石神社と呼ぶようになりました。


<Dai>
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御幣石に関するお問い合わせ先
那須町観光協会
Tel:0287-76-2619
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<御幣石(幣石神社)の周辺地図>
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