黄色の絨毯が町に広がる【全国菜の花サミットin那須野が原】開催

2019年4月27日と28日の両日、大田原市の那須野が原ハーモニーホールを主会場に、栃木県で初めて【全国菜の花サミットin那須野が原】が開催されました。

このサミットは、菜の花を活用した資源循環型の地域づくりを考えようと、毎年全国各地で開催されているもので、今回が19回目。燃料や食材など、菜の花を多用途に活用する全国の自治体などから約750人が参加し、地元高校生や農業関係者による事例発表や基調講演が行われ、交流を通じて持続可能な地域づくりを学ぶもの。

これに合わせるかのように、那須エリアは菜の花が次々に咲き誇り、町中黄色の絨毯が広がっています。その中のひとつ、那須塩原市の道の駅[明治の森]をご紹介します。

那須塩原市の道の駅[明治の森]には、乳製品や地元野菜の直売所があるほか、那須野ヶ原開拓の一人、青木周蔵の那須別邸があり、明治時代の開拓の歴史を見ることができます。この青木別邸前の菜の花も、今が見ごろを迎えています。

菜の花畑の奥に見えるのが青木邸
道の駅明治の森の青木別邸と菜の花
1999年12月に国重要文化財に指定された青木邸

青木周蔵Wikipediaから青木周蔵あおきしゅうぞうとは  世界大百科事典 第2版の解説より

1844‐1914(弘化1‐大正3)。明治時代の外交官。長州藩出身,同藩医青木研蔵の養子。1868年ドイツに留学,のち公・大使を含め23ヵ年のドイツ滞在歴をもち,ドイツの諸制度の日本への移植に尽力した。86年井上馨外相のもとで次官,ついで山県有朋,松方正義内閣の外相として条約改正につとめたが,91年5月大津事件の責任を負って辞職した。93年駐英公使に転じ,日清戦争開戦直前に対英条約改正に成功,98年帰国,山県内閣の外相として義和団の鎮圧に関与,のち駐米大使,枢密顧問官などを歴任した。
※那須塩原市の道の駅[明治の森]にある青木邸は、明治時代にドイツ公使や外務大臣、駐米全権大使などを歴任した青木周蔵子爵の別邸で、明治21年建築のヨーロッパ式の貴重な近代建築です。


5月のGWには那須高原の菜の花畑も見頃を迎え、鯉のぼりとのコラボが楽しめます

那須高原の大谷交差点から、県道305号線を北西に2~3km、畑のど真ん中に、風になびく“鯉のぼり”500尾と武者絵のぼりが多数!突然、現れます!これは【那須ハートフルファーム】が5月の節句に合わせて行っている一大イベントです。

<Dai>


旧青木家那須別邸
〒325-0103
栃木県那須塩原市青木27
Tel:0287-37-5419

開館時間
【夏期 4月から9月まで】午前9:00から午後5:30
【冬期 10月から3月まで】午前9:00から午後4:30


<旧青木家那須別邸の周辺地図>


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choko4※那須高原の那須町に移住してきた筆者が、那須にとけ込んだ人を“那須人(なすびと)”と称し、那須好きの人たちに那須の様々な観光情報を提供することで、“那須人”になってもらいたいと、このブログを開設しています。何か知りたいこと、聞きたいことがありましたら《Contact Us》までどうぞ。




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