京都の都と東北を結ぶ古代からの道は、那須町の伊王野地区を通っています。
1180年、源頼朝の平家討伐の挙兵に呼応して、奥州平泉を出発した源義経は、白河の関から関東に入り、一路鎌倉を目指して馬を駆りました。
義経が通った道は“義経街道”と地元では呼ばれていますが、正しい街道名は 答え【東山道】です。
この【東山道】が通る伊王野地区には、数々の義経伝説が残されています。
関東に入る峠には、《追分明神(住吉玉津島神社)》があり、源義経一行はここで道中の無事と戦勝を祈願。その時、義経は「月を拝もうではないか」と言って東の山に登り、こうこうと照る月に手を合わせたと伝えられます。

追分明神は、江戸時代の『下野国野州陸奥国奥州境神社旧記』によると、坂上田村麻呂が延791年蝦夷征伐の途中ここで休息したとき、勧請したものと伝えられています。
<かつては義経も歩いた東山道の追分明神>
追分明神の社は、高さは2~3mほどの小さいもの。現在は鞘堂で社が保護されているため、風雨はしのげるため意外と小綺麗に保存されています。
<義経も祈願した追分明神の社>
この追分明神から道の駅“東山道伊王野”までの東山道に、源義経と家来の弁慶の伝説がいくつも残っています。その内容については順次このブログでご紹介してまいります。

〈Dai〉
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那須町 追分明神
〒329-3437
栃木県那須郡那須町蓑沢
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<追分明神の周辺地図>
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