2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震では、那須町も様々な形で被害を受けました。しかし、お隣の白河市では、震度6の地震で、なんといっても市のシンボルであり、戊辰戦争の中心的な戦場となった【小峰城】が多大の被害を被りました。天守閣は被害から免れたものの、江戸時代に構築されたお城の石垣が随所で崩壊、崩落したり、大きく変形するなどの被害が生じました。
地震による【小峰城】の石垣の崩落規模は、総延長約 160m、面積約 1,500 ㎡を測り、東日本大震災における文化財被害としては、最大規模の被害となりました。この修復作業は、石垣 16 箇所、三重櫓・前御門を対象に、2011年12月より文化財災害復旧事業として開始されました。
<2011年大地震により崩落した小峰城の石垣 写真提供:白河市>
その7年間にわたる修復作業がこのほど完了し、今年2019年4月21日『白河小峰城さくらまつり』で、「修復完了宣言」が行われます。震災から丸8年を経て、白河のシンボル【小峰城】が復興の時を迎えます。
白河市の【小峰城】は、桜の名所としても有名で、私も震災直後から何回も足を運び、修復作業の最中でも、美しい桜の花が咲き続ける様相を見てきました。今回は那須高原から30分程度で行ける、この【小峰城】のこれまでの修復作業状況を少しご紹介します。
<2019年美しい姿の小峰城は石垣ともども元の姿に修復されました>
【小峰城】の修復作業については、白河市の文化財課が状況をサイトに掲載公開していますので、興味ある方はこちらからご覧ください。
文化財の修復というものは、「新しくつくる」ことはできません。「元通りに戻す」ことが求められます。そのため白河市では、石垣の修復に際して市民や城郭研究者などから石垣の写真の提供をしてもらい、崩落前の写真を参考に積み直しを行う形がとられました。
<崩落した石材はすべて写真撮りがなされカルテが作成された 写真提供:白河市>
【小峰城】の修復作業は、崩落した石ひとつひとつに番号をふり、文化財としての調査を行い“石材カルテ”を作成。崩落前の写真や資料を参考に、ひとつひとつ元あった位置に戻していきます。崩落した石は7,000個あまり。文化財であるため、石垣が築かれた江戸時代の工法に忠実に復元することが求められました。
<組みなおす石にはひとつひとつ番号がふられ調査が行われた>



石材の輪郭線で描いた施工図を作成、それをもとに切り抜いたプラスチック製ダンボールで石材配置を検討、仮積みを行ったうえで、本積みを行うという地道な作業が続けられました。


工事が行われている【小峰城】は立ち入りが制限され、桜が花をつける季節にも、桜の花の横を重機が動き回る光景が見られました。
<桜とクレーンの組み合わせは何年も続いた光景>
<桜が咲き誇る中でもまだ左端の石垣は無残に崩落したまま>
<どんなに美しい桜が咲き誇っても重機には負けてしまう>
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【小峰城】は南北朝時代、14世紀中頃に結城親朝が「小峰ヶ岡」と呼ばれたこの地に城を構えたことが始まりとされ、江戸時代、初代白河藩主・丹羽長重が「奥州の押え」にふさわしい石垣を多用した梯郭式の平山城を完成させました。その後、21代もの大名がこの小峰城を居城としていましたが、幕末の戊辰戦争で大半を焼失し、落城したと言われています。戊辰戦争の“白河口の戦い”は、戦局に大きな影響を与えたものとして歴史にその名をとどめています。【小峰城】の復元は、1991年に三重櫓、1994年に前御門が、江戸時代の絵図に基づき木造にて忠実に復元され、2010年に「小峰城跡」として国の史跡に指定されています。
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<石垣の修復がほぼ完了した小峰城 写真提供:白河市>
<修復され江戸時代のままに美しく積まれた城の本丸南面の石垣>
<地震に耐えた三重櫓の屋根裏の木組み>
<三重櫓の右端の崩れた石垣もきれいに修復>
<城の姿がきれいと名城100選に選ばれている小峰城 今年はさらに美しい桜で華やかに>
2019年4月13日から始まる『白河小峰城さくらまつり』では、今年は今までで最高の美しい桜の花と小峰城のコラボが見られることを期待しましょう。 <Dai>
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白河市 小峰城
〒961-0074
福島県白河市郭内
Tel:0248-22-1111
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<白河市小峰城の周辺地図>
※修復中の石垣の模様がGoogle mapを拡大すると見られます
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