【日本遺産 山田農場】@那須町は山田顕義伯爵の意思で黒田原開拓が進められた

【山田農場跡(山田資料館)】は、那須町JR黒田原駅前の商工会事務所の裏側にあります。住宅地の一番奥になるので、少し道としては遠回りをする形です。駅から歩いても5分程度で行くことができます。
山田資料館は誰でも無料で見学できます
山田農場の事務所跡

【山田農場跡】は、かつての山田農場の事務所とつながっていた客室(宿泊家屋)です。復元図右側の事務所の方は、老朽化のため1964年(昭和39)に取り壊されましたが、復元図の左側部分が現在【山田農場資料館】として管理・保存されています。
ここで様々な資料を見たり案内してくださった方の話を聞くと、どのように開拓が進められたかなど、詳しい内容を知ることができます。
復元図の左側がかつての客室で現在の資料館
山田農場跡の山田資料館

山田顕義の意思を継いだ『殿様』と『先生』による黒田原開拓

写真左から山田顕義伯爵、山田英夫伯爵、山田顕貞先生 写真提供:山田資料館
山田顕義伯爵殿様_山田英夫伯爵山田顕貞先生
【山田顕義伯爵】は、1892年(明治25)に亡くなると、その後弟の繁栄に引き継がれるましたが、実質は繁栄の養子となった山田英夫が力を発揮し、開拓は推進されました。
実はこの山田英夫伯爵は、会津藩主・松平容保かたもり公の三男で、山田顕義の長女・梅子の婿養子として山田家に入った人です。かつて敵対関係にあった長州藩(山田家)と会津藩(松平家)がここでつながって、那須町の黒田原の開拓に尽力したのです。

山田英夫伯爵は、松平家の三男ということから、開拓を進める人たちからは『殿様』と、尊敬と親密さをもって呼ばれていました。
小作人がある年、その窮状を直訴したところ、英夫伯爵は「1年ぐらい小作料をとらなくてもよい」と言い、土産まで持たせて返したという話があるそうです。小作人を大事にし、その関係は深かったと言います。

黒田原の開発を進めた山田家三代
那須町の開拓に尽力した山田家三代

山田英夫の長男・山田顕貞あきさだは、太平洋戦争の末期に黒田原に移住しており、戦後は県立黒磯高校の先生をし、その後、山田顕義伯爵が創立した日本大学の教授となりました。
顕貞も英夫と同様に、温情的であり、黒田原をこよなく愛した一人でした。地元の人々との交流も多かっただけに、親しまれて『先生』と呼ばれていました。

山田英夫の時代は、特に農地改革時でもあり、公的機関や施設に土地を寄贈しています。例えば、現在の黒田原中学校をはじめ、那須高校の敷地の一部を積極的に提供しました。また、貸地となっていた土地はそれぞれ譲り渡し、残地も公道などの公共施設に寄付しています。

開拓エリアは黒田原駅の北側と南側の2エリア
【山田農場】は、大きくふたつに分かれていました。一つ目は南の端は黒田原駅とその南側那須町役場のあたり、西の端は現在の黒田原中学校、そして東側は町民センター・福祉センターまでを含むエリア。二つ目のエリアは、那須高校を含む現上の原地区と、法師畑地区のエリアとなります。下の写真を拡大すると、赤枠で囲まれた部分を確認できます。
黒田原駅周辺の開拓マップ
那須町山田農場のエリア地図

【山田農場】の面積は約112haで、移住民戸数135戸、移住人口515人との記録があります。山田農場の経営は「常に温情的で公平に農民に接し、農民の諸要望には心をもって答えるという方針を基底にしていた」と那須野の歴史に書かれています。

もともとこの土地は原野で、那須火山系の灰土地帯で条件は良くなく、山田顕義伯爵の意を受け継いだ繁栄は、資材を投じて、この地に移住してきた人々とこの土地の開墾と改良を進めました。

資料や道具が当時のものそのまま保存されている資料館
那須町山田資料館の館内
那須町山田資料館の展示品

土地を譲渡された小作人が建てた“謝恩碑”
戦後の農地改革では、89町4反余(約26万8000坪)の農地が多年耕作に従事した小作人に譲渡され、地主との関係を切ることになりました。
多くの農民がこれにより、生活の地を得られたことに感謝し、それを「謝恩碑」という形で建立しました。この碑には山田家代々の名前が刻まれ、現在でも毎年11月23日には、山田家の子孫を交えての「祖霊祭」が行われ、その遺徳をしのんでいます。
山田家代々の名前が刻まれた謝恩碑
那須町山田家の謝恩碑

黒田原駅は、かつては現在の町役場辺りにありました。鉄道省は、b勾配の問題から新駅の建設を計画、地元から山田家に対して申し入れがあり、山田家では快く無償提供に応じて、現在の黒田原駅ができました。
現在の黒田原駅は山田家から提供された土地に建つ
那須町のレトロなJR黒田原駅

また駅前通りが“音羽通り”と名付けられたのも、山田家からの土地の無償提供に感謝し、山田顕義伯爵が当時、東京都小石川音羽に居住していたことにちなんで、この駅前の商店街通りを“音羽通り”と名付けたものです。

現在の那須町役場のある黒田原地区には、山田顕義伯爵をはじめ、山田家代々の歴史が、地元の人たちと共に様々な形で刻まれています。【山田農場資料館】を通して、それをひとつひとつ掘り起こし、知ることも楽しい歴史の散歩となります。 <Dai>


山田資料館
栃木県那須郡那須町大字寺子丙4-2

連絡先:那須町文化協会 
Tel:0287-72-6565


<山田資料館の周辺地図>


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choko4※那須高原の那須町に移住してきた筆者が、那須にとけ込んだ人を“那須人(なすびと)”と称し、那須好きの人たちに那須の様々な観光情報を提供することで、“那須人”になってもらいたいと、このブログを開設しています。何か知りたいこと、聞きたいことがありましたら《Contact Us》までどうぞ。




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