那須に移住してくる前は、那須与一の名前はそれなりに知っていましたが、その「那須」が那須町の那須だと知ったのはちょっと後でした。意外と那須エリアの那須は那須家からきていると知っている人は少ないのです。
那須与一は那須一族の出身で、那須家は今の大田原市辺りが本拠地だと言われています。弓が得意で、狩猟のために今の那須町、温泉神社辺りまで、馬を蹴って走り回っていたそうです。源平合戦に出陣するときにも、那須の温泉神社に祈願した話は有名です。
<道の駅那須与一の郷にある与一像>
平家物語『源平盛衰記』によると、元暦2年(1184-85年)、源頼朝方に加わり、源義経に従軍した“那須与一”は、源義経の命により、四国屋島沖で波に揺られていた平家方の軍船に掲げられていた「日の丸を描いた扇」を、得意の弓で射落とした、と書かれています。
答え 屋島の合戦
那須与一の出身地の大田原には、道の駅那須与一の郷があり、そこには“与一伝承館”があります。
館内の特設スタジオでは、屋島の合戦で那須与一が扇の的を射抜いたエピソードを、 映像とからくり人形により再現するショーが毎日行われています。なかなか可愛いからくり人形劇で、歴史のストーリーが理解しやすくなっています。
また、展示室には“那須家”伝来の宝物をはじめ、様々な貴重な資料が展示されており、その品々からも那須与一のことを知ることができます。
大田原市内には、那須与一をデザインしたマンホールが随所にあります。これを探してみるのも楽しいですね。
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〈Dai〉
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那須与一伝承館
〒324-0012
栃木県大田原市南金丸1584−6
Tel:0287-20-0220
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