那須学物語一覧

【那須学Q&A22】那須町で明治政府から拝領された土地を開拓した公爵は誰?

那須野が原開拓の歴史の「日本遺産」のストーリーに、唯一那須町の開拓を行った公爵が存在します。それは【山田顕義伯爵】で、山口県萩市の長州藩士の家に生まれ、松下村塾に学び、明治維新後は、陸軍中将、司法大臣を務め、日本大学、國學院大學を創立した人でもあります。

【那須学Q&A20】那須連山の“那須五峰”の山の名前は?

那須連山の主な峰5つが『那須五峰』と呼ばれ、那須高原からもその雄姿を見ることができます。 那須高原から見ると一番高い山が茶臼岳で、その右側に朝日岳と三本槍岳、茶臼岳の左側が南月山と黒尾谷岳で、これらが那須五峰と呼ばれます。

【那須学Q&A16】那須町内で源義経が頼朝に呼ばれて鎌倉へ向かうときに通った道は?

京都の都と東北を結ぶ古代からの道は、那須町の伊王野地区を通っています。1180年源頼朝の平家討伐の挙兵に呼応して、奥州平泉を出発した源義経は一路鎌倉を目指して馬を駆りました。義経が通った道は“義経街道”で正しい街道名は 【東山道】です。

【那須学Q&A 15】那須連山“茶臼岳”の噴火で180余名が亡くなったのは何年?

那須連山の火山活動で一番古いのは、甲子旭岳で約60万年前。三本槍岳は40万年前、南月山は20万年前、そして茶臼岳は3万年前で、現在も火山活動が続いている那須連山で唯一の活火山。茶臼岳の大きい噴火は1410年で180余名の死者が出たと言われています。